★演者に訊く 2008年8月
ゲスト
「活動写真弁士・片岡一郎」

藝能往來」第一回です。聞き手はスズキマサミが務めます。
第一回目の登場はこの「藝能往來」で聞き手も務める、活動写真弁士・片岡一郎氏に活弁とは何か、現代における活弁のあり方は、など色々訊いてみました。
氏と私は数年前に劇団「下町ダニーローズ」の出演役者と撮影カメラマンとして出会い、以降懇意にさせていただいております。ま、初回は知った者の方が気楽だし、といういわば実験台としての人選でもあります(苦笑)。
2時間に及んだ対談、では始まりです。
おっとその前に、基礎知識を片岡
さんにお教えいただきましょう。

★「無声映画」とは?
映画が発明された直後というのはモノクロで、しかも音が出なかったんですね。この時代の映画を総称して無声映画(silent film)と呼びます。もうちょっと雰囲気のある表現を使うと活動写真てな言い方もあります。
製作されていた時期は1895〜1928年くらい。日本での製作時期は1899〜1935年くらいで、震災や戦争などでの消失で現存するのは作られたうちの5〜6%の800作前後しかないのです。

★「弁士」とは?
映画館にいって2時間、音が出なかったらどうでしょうか? 退屈ですね。そこで無声映画はライブで音楽を演奏し、さらに日本では語りを付けたのです。音楽を付けるのが楽士、語りを付けるのが活動写真弁士、あるいは映画説明者といいます。余談ですが活弁士という呼び方は誤用でアリマス。
基本的に語りの内容は語る弁士が考えます。代々伝わる台本のようなものはほとんど存在しません。決められた台本を演じる声優との最大の差ですね。

片岡一郎
昭和52年11月 東京生まれ
平成13年3月 日本大学芸術学部演劇学科卒業
高校入学と同時に演劇活動を開始。
大学在学中に舞台演出2回(内1回は脚本も担当)を務め、好評を博す。
平成14年2月、澤登翠に入門。
同年、同月、門下生としてデビュー。
平成14年8月、福岡詩二門下でヴァイオリン演歌師としてもデビュー。

★片岡一郎ブログ http://kaitenkyugyou.blog87.fc2.com/

 

「師と仰ぐ人のもとで
修行がしたかったんです

 弁士というか藝というものに足を突っ込んだきっかけは何だったんでしょう?

片岡「弁士と出会うのは大学生の頃ですね。藝事との出会いとなると、高校の時に好きなアニメの声優さんが、声優は演劇なんだ、という事を言ってたんですよ。で、それに何となく影響されるような感じで演劇部に入ったんですね。そこで先輩から落語を教えられてハマっちゃいまして、浪人中に大学に進むか落語家になるか真剣に考えたんですよ。結局大学に受かったので、そのまま進学しちゃいましたけど」

 落語家になるつもりだったなら、弟子入りしたい意中の師匠はいたんでしょうか?

片岡「好きだったのは立川流の家元・立川談志だったり、そのお弟子さんの立川志らく師匠だったりしたんですけど、ファンとか好きとかいう師匠の元に行くというのは考えなかったですね。色んな師匠の高座を聞いて探してる最中でした」

 でも結局立川志らく師匠の劇団に役者で参加して、落語家のそばで藝を演劇をやるという、微妙に経験と実績を積み重ねて念願が叶ってますね(笑)

片岡「微妙に(笑)」

 大学は日大芸術学部の……、

片岡「演劇学科の演劇理論評論コースですね。歴史を遡って昔の藝事なんかを調べるという術を会得できた事なんかは、今の弁士という生業にはずいぶん役に立ちましたね。サークルはミュージカル研究会にいました(笑)」

 落研(落語研究会)ではなく?

片岡「進学したらみんな落研に行くものだ、と言ってたので、あえて絶対落研だけには行くまいと(笑)」

 あまのじゃくな(笑)。で、そのミュージカル研究会では何を?

片岡「演出もやりましたし出演もしました。ミュージカルなんで、演出と演技の他に作曲や振り付けもありますし、大学の研究会ですから、セットも自分たちでやりますし、もう一通り舞台作りは全部出来るようになりましたよ」

 今の姿からは歌って踊る片岡一郎は想像できないんですが(笑)。

片岡「想像しなくていいです(笑)。
活弁との出会いは、浪人中に観に行っていた演劇で偶然手にした無声映画鑑賞会のチラシを見て、今の時代に弁士という人間がいたことに驚いて観に行ったのが最初です。それが今の師匠の澤登翠(さわとみどり)の会だったんですよ。そこで素人さんが集まって活弁を学ぶ勉強会というのがあるというのを知って、大学に入ってから参加するようになりました」

 活弁というものに対する知識はあったんでしょうか?

片岡「存在は知っていましたが、今まだいるというのに驚いたくらいですから、詳しい事は何も知らなかったですね。
で、勉強会には在学中はわりとマメに通って発表会とかにも参加してたんですけど、参加者の中には映画マニアもいたりしたので、そういう人の知識なんかを目の当たりにすると、弁士としての資格みたいなものは自分にはないかな、と思っていましたね」

 まだ落語家になるという望みもあった?

片岡「あったのかもしれませんね。ミュージカル研究会は3年で強制卒業させられるのですが、その後に落語がやりたくて、仲間を無理矢理参加させて寄席ごっことかやってましたし。その時無理矢理誘って講談をやらせた友人は、それがきっかけで講談師になっちゃいましたから。一龍斎貞橘(いちりゅうさいていきつ)という名前で活躍してますけど」

 道連れですね(笑)

片岡「いや私より早くに在学中に、今人間国宝になられてます一龍斎貞水(いちりゅうさいていすい)先生に弟子入りしましたから。講談やらせて一年後に、俺入門したから≠チて言われてびっくりしましたもん(笑)」

 で、片岡さんはいつ入門したんでしょう?

片岡「2000年に東京キネマ倶楽部という劇場がオープンして、無声映画鑑賞の常設館になったんですよ。そうなると弁士が足りないということでオーディションが行われてそれに参加することになったんですよ。で、落ちまして(笑)、興行主であり無声映画のフィルムの管理などをしているマツダ映画社から、映写技師をしながら勉強すれば、と声をかけて貰って、上映会などを手伝いながら勉強することになりました。
でもやっぱり藝人として生きたいと思ってましたから、修行しながらのスタッフという肩書きより、師と仰ぐ人のもとで修行がしたかったんですよ。もうこの頃は落語家じゃなく弁士になるつもりでいましたから」

 で、弟子入りを志願した。

片岡「ところが澤登翠は弟子を取る気がなかったので、これはもう押しかけるしかないという感じで、公演が終わると楽屋口で出待ちして鞄持ちしたり、とりあえず弟子ごっこを初めて既成事実を作っちおうとしましたね。1年ぐらいやってましたましたか。それでマツダ映画社の人達とかが、師匠に進言してくれて何とか弟子入り出来たんですよ。
まあ澤登翠も松田春翠(まつだしゅんすい)の弟子で藝を引き継いできたのですから、いずれはという意識はあったのかもしれませんが、周りの進言とかお膳立てとか、押しかけで弟子ごっこをしてくる私みたいなのが現れたんで、観念したというか、そういう感じになったんでしょうね。今は私を筆頭に3人の弟子がいますから」

 弟子入りするということは具体的にどういう事が起きるんでしょう? 教えを蒙れるとか?

片岡「いや特別何が起きるわけでもなく、授業が行われるでもなく、師匠の鞄は相変わらず持ちますけど(笑)、結局関係性が濃くなるということですかね。澤登は私の師匠であり、片岡は澤登の弟子である、という事実が出来ることで、対外的な信用も発生しますし。
あとは師匠のやってきたことを引き継ぐ権利が発生するということもありますね。それは技術や考え方も含めてすけど」

 そういった技術に関しても教えてはもらえない?

片岡「そうですね一切ないですね。こちらから聞けば教えてくれますけど。ですから教えてもらうとか言うことより、話をしている中でどうやって師匠の考え方や作品の解釈なんかを聞き出すか、ということになりますね。あとは大事なことは教えてもらわずに気づけ、ということでしょうかね(笑)」

 なるほど。私なぞはデザインにしろ写真にしろすべて独学で、やったら出来た(笑)、というところからスタートしてるので、誰かに師事するとか、学校で学ぶという事に関して、感覚的に理解しがたい部分があったり、今藝人さんや藝の世界と関わって、その中で徒弟制度とか上下関係とかにひじょうに戸惑う部分が多いんですよね。
師と仰ぐ人が欲しかったという片岡君の考え方は一般的な藝人としての考えなんでしょうか?

 片岡「弁士でも師匠につくという形ではなく、独学で独自の活動をしてる人もいますし、みんながみんなではないと思いますけどね」

 


「演じることもさることながら、
そういう認知度を高めるための働きも
我々の役目です」

 いざ入門しても無声映画鑑賞という文化であり興行っていうのは、他の演藝・興行というところから言えば、かなりパイも小さいし認知度も低い。これから爆発的に注目されて広がるものでもないと思うし、生活も含め不安はなっかたんでしょうか?

片岡「じゃあスズキさんはフリーになったとき不安はなかったですか?」
 
 何とかなる、と思いながら十数年です(笑)

片岡「同じですよ(笑)」
 
 でも無声映画自体、存在する数は決まっていて、新たに発見されたとしても数本という世界ですよね。広がって行くには新しさというものがない藝は難しいように思うのですが。

片岡「限りがあると言っても世界中には何千本という作品が存在して、今まであまり日の目を見なかった中国の作品なんかもどんどん発掘されてるんですよね。落語なんかは古典落語と言われる噺が500本くらいだと言われてますから、それから比べれば遙かにネタは多いんですよ」
 
 なるほどそれはそうですね。

片岡「ですから、無声映画なり弁士の存在を知らしめていけばまだまだ広がりを期待できる世界なんですよ。それを広める作業をしてこなかった業界のやり方を修正して、丹念に宣伝していけば、興味を持って会に足を運んでくれる人は増えて行くと思ってますし、それだけの魅力がある藝だと信じられたからなんですけどね。疑わしかったら続けてこれなかったでしょうね。実際少しづつではあるけれど公演数も動員も増えてきてますから」
 
 そうですよね。私も片岡さんに誘われて初めて観に行った澤登師匠の独演会、年末の紀伊国屋ホールだったんですが、驚きましたね。ぜったい満席になんかなってないだろうと思ってギリギリで行ったら、あと3席しか空いてませんから急いで≠チて言われて(笑)。
で、客席見渡したら10代から80代までの老若男女が集ってるし、ちょっとしたカルチャーショックでした。

片岡「(笑)まぁあの年末の会は何十年も続いてる会で、年に一度の大イベントでもありますから。毎年地方から観に来て下さるお客さんもいますし、若年層も増えてますよね」
 
 それにもっと驚いたのが、会場は小さくなるけど毎月上映会が定期的に行われていて、その他にもなんだかんだ上映会が月4,5回は都内で開かれてるというのに驚いたんですよ。全国各地でも公演があったりするし、情報誌にも載ってないアンダーグラウンドな世界があったんだったって(笑)

片岡「そうですよね認知度はまだまだ低いですよね。演じることもさることながら、そういう認知度を高めるための働きも我々の役目ですからね」
 
 古典や伝統藝に携わる方々には、宣伝なんて野暮だっていう考え方を持ってる人って、けっこういますからね。いい藝をやってればお客は寄ってくるって信じて宣伝をしたがらない方が。
 ある中堅の藝人Aさんが、若手藝人Bさんはテレビにも出てないし、宣伝もしてないけど毎回公演はいっぱいになる、いい藝をやってればお客は来るんだよ。と言ってたんですけど、その売れてる藝人Bさんはものすごく緻密な宣伝戦略を立てていて、テレビに出ないのも目立った宣伝しないのも計算尽く。一度着いたお客を離さないフォロー体制とか、飢餓感を煽る興行形態とか、他の世界とのコラボレーションとか、外から見えずらい宣伝活動はものすごくされてるんですよね。メディアに出たり、チラシまいたりするだけが宣伝じゃないですから。
そのあたりの感覚の古さは、演者は元よりスタッフにもかなり見受けられて、広告屋としてはめちゃくちゃ歯がゆいんですけどね。

片岡「(笑)その藝人さんが誰で誰の話か気になりますね」
 
 それ以上訊ないで下さい(笑)。

片岡「そういう宣伝の意味合いも兼ねて、弁士のアマチュアを増やしたいんですよ。アマチュアということは好きが高じてしまったという人たちですから、一番お金も使ってくれますし、そのアマチュアを観に来る、つきあいでもいいんですけどお客さんも発生すします。活弁の世界に触れる機会が増えるためには数人のプロだけが活動の場を独占するより、広く誰にでも触れられる文化や藝であるほうが広がって行くのだと思うんですよ。その中からプロが生まれてくることもあるでしょうし、そこでプロの藝の競争が始まって藝が高まって行けば更にいいことですしね」
 
 そうですね音楽にしろスポーツにしろ、アマチュアとプロがいて成り立ってますからね。

片岡「それに遠い世界のものに触れるという敷居の高さがあると、お金って使いづらいでしょ。身近なモノにはけっこう気楽にお金って落としてくれますから。ちょっと友達が活弁っていうのやるから観に行こうよって気楽さは大事ですよね」
 
 そういう活動の一環で役者や落語家に活弁をやって貰ったりする会を開いたりしてるのか。私もしゃべりは出来ないけど書いてみたい、って言って台本書かせて貰って、すごい楽しかったし勉強になったし、より一層観に行くのも楽しくなりましたから。

片岡「でしょ。そういう入り口から入って来る人もどんどん増やしたいんですよね」
 
 そうか〜、まんまと片岡さんの戦略に乗せられたわけですね私は。おまけにあちこちで無声映画って観たことある? 一回は観なきゃだめだよ、とかウンチクたれてるし、この企画に引っ張り出してきたりしてるし、なんか思う壺みたいで悔しいですね(笑)

片岡「今頃気づいたんですか、上手くハマって貰えて助かりました(笑)。
ですから色んな人に門戸を開いて、そこで上手いアマチュアが出てきて、淘汰されてしまうプロも出てきていいんですよ。私達も刺激を受けたりすることもあるでしょうし、追い越されないように精進するようにもなりますし。そうやって弁士が増えて縦にも横にも幅が出来てくることによって、整理されたり新しいシステムや関係性も生まれて来て、初めてひとつの社会として成り立つんじゃないでしょうか。
それにプロって言うのは技術じゃなく、位置や立場っていう部分も大きいですから、ある程度の社会が存在しないと成り立ちませんしね」
 
 新陳代謝がないと活性化にも向上にもなりませんからね。

片岡「アマチュアを増やすというのは業界の底上げや草の根運動的な部分での活動ですけど、あとはやっぱり目立つことをやって行かないと、という思いもありますね。それは私達が今出来ることでもありますし」
 
 メディアに出るとか?

片岡「それが一番なんでしょうけど、そんなに簡単に出れれば苦労しないですよ。
今までも映画とか声優とかアーティストのPVなんかに出させて貰ったんですけど、やっぱり他の世界との交流というかコラボレーションも積極的にやっていきたいとは思うんですけど」
 
 それは無声映画に活弁をつけるという形だけではなくて?

片岡「そうですね。活弁というのはいわゆる話藝なんですよ。古い無声映画に語りをつけるだけが活弁ではないですし、新しく映画を自分で作って活弁をつける弁士もいますし、アニメーションや紙芝居を作って活弁をつけることもありますよ。そういう話藝という部分でも何か面白いことが出来ればと思うんですけどね。
あとね話藝のうちでも落語や講談っていうのは都市型藝能で、江戸弁と関西弁でしか基本的には語られない文化なんですね。活弁にはその縛りがないんですよ。実際映画は無声映画しかなくて各地に弁士がいた頃は、その土地土地の言葉で語られていたんですからね。
今土地の言葉を残そうという動きがあるじゃないですか、言葉は発音記号なんかで残しても仕方ないもので、語られて伝えられていく物なんですよ」
 
 そうか田中絹代が東北弁でもいいし、阪東妻三郎が博多弁でもいいんですよね。

片岡「そうなんですよ。ですからその土地土地でコンクールじゃないですけど、色んな人が弁士に挑戦して、一番上手い人を決めてその土地の主任弁士に任命とか、そういうイベント的なこともやってみたいですね。映画を楽しむだけではなくて言葉を楽しむというのも、活弁の中にはあるんですよ。海外公演に行ったときなんかは、その国の言葉でやってみて下さいって言ってるんですよ。それでホントにアメリカ人弁士とか黒人弁士とか登場してくると、日本人は外人に弱いですから注目度も上がると思うんですけどね」
 
 弁士版のジェロが登場してくれればいいのか(笑)。

片岡「弁士版のオリンピックがあってもいいじゃないですか(笑)。フランス語で語られるチャンバラなんて、ちょっと迫力に欠けそうな気もしますけど、意外な面白さが発見できるかもしれないし。
映画の「ラストサムライ」はどうして日本人が撮れなかったのか、あれをハリウッドに撮られてしまったのは日本の恥だ、っていう論調もあるじゃないですか。でもそのことによって日本人が時代劇を再認識するようになったっていうプラスの面もあるわけですからね。ジェロみたいな弁士が出てきて、活弁って日本の文化なんだって、という話題になってくれてもいいわけですよ」
 
 活弁っていうのは日本以外にはなかったんですか?

片岡「映画が生まれた当初は、写真が動くという映画そのものを説明するために解説をする役目の人間が世界的に同時多発的に生まれました。でもヨーロッパなどは経費がかかるということでわりに早い時期に廃れていったんですが、日本人は話藝が好きな国民ですので弁士が付いていた方が映画にお客が入るようになったんです。ですから当時の占領下の台湾にも広まって、そこから韓国なんかにも波及していったんですよ」
 
 映画が生まれてからいわゆる無声映画という形の時期ってどのくらいなんでしょう?

片岡「30年くらいですかね」
 
 現代の映画の音を消して、それに活弁を付けるっていうことは出来ないものですか?

片岡「撮り方が基本的に違いますから、音を消しちゃうと無声映画ではなく無音映画になるんですよ。そうなると語りのリズムや間がどうしても合わないんですよね」
 
 音楽でもリミックスとかあるじゃない。そういう感じで活弁用に編集し直す作業が必要になるんですね。

片岡「活弁付きの映画が当然だった頃、やっぱり監督は活弁が付くことで、自分の作品の色が変わってしまうのを嫌がったんですよ。ですから活弁が入れにくくした監督もいますし、字幕の入るリズムをきっちり計算して、どんな弁士がやっても同じような語りになるように作った監督もいます。ですからそういう部分で監督と弁士がどう上手い具合にセッション出来るか、という問題は昔も今も大きいんですよ。実は新たな無声映画を若い監督に撮ってもらおう、という話は出てるんですけどね」
 
 片岡一郎監督、っていうのは考えたりしませんか?

片岡「考えなくもないですが今は語りを追求したいって思ってますね」
 
 無声映画を観て思ったのが、今の映画というものより演劇を観ている感覚に近いかな、って思ったんですけど。演劇をやっている人が撮ったら面白いかもしれませんね。

片岡「さっきのアマチュア弁士を増やす話じゃないですけど、作品を作るアマチュアもどんどん出てきてくれればと思ってるんですよ。映画を作る際に一番難しいのが音を撮って映像と合わせる部分なんですよ。無声映画を前提にすればその苦労はないわけですから。予算的にもかかりませんしね。映像関係の会社と組んでそういった面からの動きも仕掛けようと思ってます」
 
 昔の作品で活弁するのと、新しい映画で活弁するのと、無声劇みたいなもので活弁するのとか、片岡さん的には何か違いがあったりしますか? 例えばやっぱり昔の作品で語るのが一番好き、とか。

片岡「時代や形態にはこだわりはないですけど、やっぱり名作を語りたいっていう思いは強いですね。自分が思える名作という括りですが。藝人としての喜びを一番感じるのはやっぱりそこですね」
 
 今音楽でもカバーがブームだったり、落語にしたってブームの中心は古典落語だし、古くてもいいものを見直したり、新しい解釈で対峙したりっていうのはあるし、そこに無声映画が入り込む余地はあるますね。大ブームにはならないにしろ、ジャンルとして認識されるくらいにはなるかもしれない。

片岡「映画自体も見直される作品も出てくるでしょうね。当初は駄作と言われた溝口監督の『折り鶴お千』なんて、ここ最近名作として評価があがってますしね。スズキさんも大好きだそうで」
 
 あれは名作です。無声映画で何がオススメって言われたら真っ先に奨めますね。

片岡「そういう部分では、駄作と呼ばれていた作品でも、片岡っていう弁士が語ったら名作になった、澤登の語りで蘇った、っていわれたら嬉しいですよね。
今なら無声映画鑑賞会でも映画のタイトルでお客さんが来るのが普通ですが、弁士でもお客を呼べるようにしたいですね。片岡の『瀧の白糸』は面白いから観に行こう、とかね」
 
 その為には弁士の数も増やさないと選択も競争も成り立ちませんね。

 


「フィルムには寿命があり、
今は一刻を争う時期なんです」

 伝統藝能をやってるとか、伝統を守ろうという思いはあるんでしょうか?

片岡「いや、好きだからやってるっていう部分がほとんどですね。守らなきゃいけない部分、大事に残さなきゃいけない部分っていうのはもちろんあります。
藝は何かを伝えるために生まれたわけです。その伝える部分をその当時と同じやり方で伝えて今伝わるか、と言うとそうでない部分も多分に出てきます。先人が培って来た伝えるための技術をちゃんと自分の中に入れて、今を生きて今の人たちに伝える者として形作って発信していくのが伝承だと思います。だからと言ってまったく今の言葉遣い、たとえばKYだとかちょー○○だとかをやたらに取り入れてしまうのも違うと思いますし、最低限に弁士としていられるラインの見極めは必要になります」
 
 積極的に今の感覚や表面的なあしらいを使うには、基本的な見せ方の王道、それこそ先人が培い世間が馴染んだ方法論をきちんと自分の物にしてないと、形だけになってしまいますからね。

片岡「それは技術的な部分だけじゃなく、姿勢や精神の部分での向き合い方という部分でも同じですね。
残したり伝えたりという部分で言えば私達にはもう一つ大きな財産があるんですよ。それはフィルムなんですけど。今でもごくまれに当時のフィルムが発見されることがあるんですが、まだどこかに眠ってる可能性があるわけですよ」
 
 蔵を整理してたら出てきたとか?

片岡「そうです。それでその時代のフィルムの寿命というのが物理的にありまして、だいたい80年くらいと言われてるんです。そうなるとここ10年が勝負になってくるんです。今は一刻を争う時期なんですよ」
 
 下手すると発見されても使えない状態だったり……

片岡「ドロドロになってたり粉になってる可能性も十分あります。ですから一刻も早く探し出して、きちんと修復して保存しないと、作品によっては国家財産を失うことにもなりかねるんですよ」
 
 鑑定額では言い表せない価値があったりするわけですね。

片岡「マニアの間で売買されてしまうこともあるんですが、ちゃんと修復して財産として残すには、国立近代美術館フィルムセンターに預けて直すのが一番なんです。財産としての価値がなくなってしまう可能性もあるわけですから、とにかく早く探し出して修復しなきゃいけないんです。
九州地方では戦後に活弁ブームが起こって、炭坑を中心に公演が開かれていた事実があるので、いまだにどこかに眠ってるという神話があるんですよ」
 
 未発掘の映画フィルムに、アマチュア弁士に、新作無声映画だったり、発掘しなきゃならん物が多いですね。

片岡「その為にはまず活弁を一度は観てもらわないといけませんね」
 
 まず発掘しなきゃならないのはお客さんですね。

片岡「そうそう、スズキさんみたいな思う壺にハマってくれるお客さんですよ(笑)」
 
 ですね(笑)

 

 

というわけで少しは活弁というものを理解していただけだでしょうか?
対談中も触れていますが、都内でしたら月に何回か無声映画鑑賞会が行われています。是非一度足を運んで頂ければと思います。
公演の予定などは下記のHP等で御確認下さい。

★マツダ映画社 http://www.matsudafilm.com/