★演者に訊く 2008年11月
ゲスト
「紙芝居屋・廣島屋」

 この藝能往來ではタイトルの通りゲイノーをば取り上げて参ります。それもそんじょそこらにあるような、テレビで幾らでも観られるゲイノーでは御座いません。私が活動写真弁士をやっていて「なんで?」と聞かれるが如く、この現代において「なんで?」な藝に惚れ込み人生を掛けてしまった人々のドキュメントを追いかけてゆくのです。

 皆さんは拍子木の音というと何を思い浮かべるでしょうか?「火の用ォ心!さっしゃりやしょお〜」てな冬の夜を思い浮かべる方も居るかもしれませんが、流石にあれは藝能ではありません。拍子木によって思い出され るもうひとつの光景、紙芝居が今回のテーマであります。お話を伺ったのは現在、現役の紙芝居屋さんとして活躍の廣島屋(ひろしまや)さんです。

廣島屋(ひろしまや)
3月17日生まれ
山口県防府市出身
神奈川県相模原市在住
紙芝居屋・似顔絵画家・役者(職業)
俳句・球体関節人形(趣味)
既婚。

廣島屋さんのブログ「亭主の日乗」
http://yaplog.jp/hiroshimaya/
 

 

 紙芝居といっても色々あります。幼稚園や保育園で現代も演じられている教育紙芝居、あるいはかつて街頭で演じられていた街頭紙芝居、戦前から戦中に盛んに製作された国策紙芝居等々。廣島屋さんは街頭紙芝居を中心に様々なジャンルを演じられています。
 そんな廣島屋さんは昭和40年生まれ。すでに紙芝居屋さんは街角から姿を消しつつあった時代でした。

廣島屋「紙芝居屋さんを見たっていう記憶があるかって言うと、かろうじて幼稚園位の時に、近所の神社の縁日で何となく見た覚えはあるんです。ただ何を見たかも覚えていないですけれど」

 そんな廣島屋さんが紙芝居屋になるきっかけだったのが、新横浜にあるラーメン博物館で働いた事でした。昭和を再現したラーメン博物館には当時の紙芝居も所蔵されており、ただ置いとくだけでは勿体ないというのでスタッフで紙芝居の実演に取り組みました。しかし最初は勝手が分からず試行錯誤の日々、現在も活躍されている梅田佳声師の公演を聞きに行くなどして勉強したそうです。今から12〜3年前のことでした。

廣島屋「ラーメン博物館には肉筆紙芝居が20タイトル位の紙芝居がありまして、紙芝居を演ったのは延べで20人〜30人位ですかね。ただ外でも演ってお金を頂いている酔狂ものは僕ぐらいですね(笑)」

 紙芝居には戦前戦後で二度のピークがあります。最大のヒット作は『黄金バット』。戦後、GHQが日本を統治しようとした際、未知のメディア「KAMISHIBAI」の人気に驚き、急遽検閲の対象に指定したというエピソードが伝えたれていることからも人気の程が伺えます。波乱万丈の筋で盛り上げておいて、肝心の所で「続きはまた明日のお楽しみ」と去っていってしまう紙芝居屋さんの怪しい魅力に子供たちは夢中になったのでしょう。

廣島屋「(街頭)紙芝居の魅力ですか…。絵を描いた方の意図するところとは違う楽しみ方なのかもしれないんですが、絵を描いている人の情念みたいな。たぶん紙芝居画家みたいなのは本意じゃなかったと思うんですよね。そういう無駄なエネルギーっていうか、情熱に凄く惹かれるところですよね」

 紙芝居画家出身で著名な存在では水木しげる、白土三平といった人たちがいます。

廣島屋「それからテレビでフリップを使って解説している光景を見ると、これって紙芝居だなって思うんですよ。道具として全然死んでないなって」
 
 メディアが手段は巨大になれば一方通行の情報伝達になってしまいがちだけれど、紙芝居は観客対演者というシンプルな構図を瞬時にして生み出す作用を持っているようです。演じる人の気配、絵を描いた人の気配が温かみという言葉では集約しきれない人間臭さを生み出しているのではないでしょうか。

 仕事先のラーメン博物館で紙芝居に出会ってしまった廣島屋さん、どんどん紙芝居にのめり込み、ついにはラーメン博物館から飛び出しての活動と相成ります。その時の手応えはというと…。

廣島屋「やる以上は街頭紙芝居でやってみたいという気持ちが湧いてきたんですね。それから舞台(演劇)以上にお客さんが近い、反応がストレートに返ってくる。でもラーメン博物館は雰囲気が事前に出来ているので表現者としては楽なんですね。だからそういうお膳立てがないところでやってみたいと」

 とはいえいきなり街頭紙芝居の聖地、路上でやるのも難しかった。そこで講談を勉強していた知人と二人でイベントを組んだ。場所は下北沢である。若いバンドマンと同じようなコースと言えましょう。
 初めて下北沢で演ったときの感触は?

廣島屋「そうですねぇ。イケるな、と思いましたね(笑)」

 事前の経験も手伝ってイケてしまった廣島屋さんであるが、一緒にイベントを始めた知人は講談に本格的に熱を入れ、廣島屋さんは一人で活動をする事になる。ちなみにその知人の方は現在プロの講釈師として活動されている、それはさておき…。
 懐かしいだけでは仕事にならないのは紙芝居も活弁も同じ。新しい試みはしているのだろうか?

廣島屋「昔の肉筆紙芝居の続きをオリジナルで描いたりとか、探偵さんを主人公にした話を描いたりしたんですけど、難しいですね。ストーリーの中のどの場面を切り取ればいいのか。漫画のつもりで描いてみたら、実際に演ってみると違うんですね」

 ただ絵を描くだけでない、紙芝居の表現に即した描き方とは、語られることを前提にしたデザインとも言える。この技法は企業におけるプレゼンにも活かせるのでは?だってビジネス書を本屋さんで見るとプレゼンにおける個性の出し方みたいな本ばかりだもの。そんなツールも面白いかもしれない。パワーポイントだけが以外のツールぢゃないぞ、ビジネスマン諸君。
 話が逸れました。他に新しい試みは?

廣島屋「ライブハウスでミュージシャンの方と共演したことがあるんです。紙芝居は喋りも効果音も絵を抜くのも全部一人でやるんですけど、楽士さんが付くことで表現の幅が広がりますね」

 実は紙芝居は近年アジア諸国で急速に広がっている。絵+語りのシンプルなスタイルが教育に適しているからなのです。そして意外に知られていない事実として、日本でも新作紙芝居は作られ続けているのです。廣島屋さんがよく演じている作品に『くろずみ小太郎旅日記』(ぽぷら社・刊)がある。
 新しい試みをしつつ紙芝居の可能性を探る廣島屋さん。初めて紙芝居を見る人にはどう接しているのでしょう?

廣島屋「昔の街頭で見ている感じは、現代でも観賞に耐えうると思うんですよ。ああいう時代で、こういう事をやってたんだよっていう事って知られてない。メディアとしてテレビがない時代、色んな紙芝居が作られたんですよね。戦時中の国策紙芝居なんかは大人が見るんですよ。防諜・対スパイ紙芝居みたいなのもあったんですね。それを見て感動して投降してきた人もいるって言うんです。ウソかマコトか知りませんけれど(笑)」

 紙芝居の力の源とは双方向性の表現だという点ではないでしょうか。受け手の反応を見て、筋そのものすら融通無碍に変化し得る紙芝居はミニメディアの重要な表現手段かもしれません。
 藝能往来では紙芝居の新しい使い道を広く募集しております。本気ですぞ。

廣島屋「凄く使い勝手の良い、色んな事に利用できるっていうのが、道具としての紙芝居の強みだと思うんですよ」

 実際、紙芝居を表現手段に取り込む若い人は確実に増えている。しかしそれはライバルが増えるという事だが…。

廣島屋「増えたほうが良いと思いますね、やっぱり。色んなやり方の人が増えれば目に付きやすくなるじゃないですか。お客さんの目が肥えてくるから、厳しくはなるけれど、入りはすくもなりますよね、いろんな意味で」

 実は先日、私(片岡)はドイツの映画祭に招かれて活弁をやったのですが、その時も紙芝をやっているグループが日本から招かれ、ドイツ人を相手に口演。喝采を浴びていました。ゆっくりと、でも確実に広がりを見せつつある紙芝居、その魅力とは?

廣島屋「動かない絵が語ることによって動き出すんです。そういう生のハクリョクを知ってもらいたいなと思ってやってます。生々しさですね」
 
 生であること。
多くのものが自宅で手に入る現代では、これからもっとも大事な要素になるかもしれません。一度紙芝居体験をしてみては如何?

 てなわけで廣島屋さんの回はここまで。次回も奮闘中のゲイノー人にご登場願います。よろしくお付き合い下さいまし。

余談ですが廣島屋さん、私の師匠である澤登翠の活弁講座に参加してしまいました。来年には発表会もあるとの事、冷やかしに行くのが楽しみであります。にしてもホントに酔狂者ですよ。

 

 

公演写真/スズキマサミ 下北沢アーチストにて撮影