★演者に訊く 2010年1月
ゲスト
(史上最年長入門)落語家・立川長四楼」


【全3回 其の1

 あけましておめでとう御座います。本年も藝能往來をどうぞよろしくお願い致します。
 新年という概念が成立する為には天文学が必須なのは当然ですが、古の天体観測者達が1年を発見したときの興奮はいかばかりであったのでしょうか。
当たり前の事は分かってしまえばそれまでなのです。だからこそ分からない時の感性は大事なのではないかと思うのであります。
 
 本年最初のゲスト・落語家の立川長四楼(たてかわちょうしろう)さんは、47歳にして落語界に飛び込み昨年末に初めての高座(こうざ)を経験されたばかりの異例の新人落語家なのです。様々な「why?」が浮かぶ長四楼さん、はたしてどんな方なのか、お話を伺っていきたいと思います。
 まだプロの入り口にたったばかり、単独インタビューを受ける身分ではない、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。長四楼さんもその事はしきりに気にしていらっしゃいましたが、藝能往來ではあえてお願いし、また色々喋って頂いた次第です。本稿では入門したての長四楼さんと、会社員として生きてこられた本名の新山さん、二つの顔から藝を探ってゆこうと思っています。ご理解のほど、よろしくお願いします。

立川長四楼
初高座熱演中。演目は「浮世根問(うきよねどい)」

立川長四楼(たてかわちょうしろう)
昭和37(1962)年8月10日生まれ
平成21年8月に立川談四楼(たてかわだんしろう)に入門。同年12月15日、第167回 立川談四楼独演会にて初高座。

 

●初高座をめぐる感情のあれこれ

 さっそくですが、初高座の感想を聞かせて下さい。

長四楼「思ったような高座、自分の考えているような噺(はなし)が出来なかったと……」

 初めから出来ても、と感じますけれど。その思ったような高座とは?

長四楼「自分は前座という身分だし、決して上手いとは思っていないし、上手くやろうとも思ってません。もしかしたら今後もそうかもしれません。で、どうやりたいかというと、自分の感性を直接出したいと思っておりまして、演じないで落語をやりたい」

 演じない落語とは?

長四楼「自然体でやりたかったんですけれど、どうしてもプロの高座というものを意識し過ぎてしまいまして。楽しんでもらおうとか、笑ってもらおうとか、上手く見せようみたいな感情が働いちゃいまして、自分の本性をさらけ出す高座が出来なかったのを非常に後悔してます」

 東京の落語界には明確な身分制度があって最初は前座、次に二ツ目(ふたつめ)、そして真打ちとなる。前座はあくまで修行中の立場ということ。「前座は奴隷同様。人間扱いしなくていい」なんと言う師匠もいる。実際の奴隷制度にはなんら則してない。当然であるが。
 そして同じ階級であっても入門したのが早いほうが立場は上となる。実年齢は一切関係ない。
 長四楼さんはアマチュアで落語をされていたそうですが、その時には思うような高座が出来ていた?

長四楼「意識をしていなかったという部分もあるんですけれど、アマチュアでやっていた頃は、お客さんに喜んで帰ってもらおう、自分も楽しんじゃおうという甘い部分が強かったんです。逆にそれが良く作用して喜んで貰えてたような気がします。ただ今回は、お金を貰って入ってると、師匠である談四楼の前座であると。ましてや47という事で、若い人とは違う噺をしてくれんじゃないかな、という買い被り的な期待をちょっと背負っちゃいまして(笑)」

 アマチュアの時と、師匠の独演会で前座をした時ではお客さんの反応は違いましたか?

 長四楼「初高座には私の昔の仲間が10名程来ておりまして、分かれて座って欲しかったんですけれど、固まってまして(笑)。彼らにサクラで笑えって言ってたんですけど、私の初高座という事で緊張してクスクスしか笑わない」

 サクラを用意とは随分策士の前座もいたもので。

 長四楼「話を戻しますと、師匠の独演会のお客様というのは自分の予測していた通りでした」

 どういった予測をしていたんでしょう?

 長四楼「プロの高座というのは聴く方もプロだと。談四楼師匠の落語を常時聴きに来てくれている方は聴き方もプロ。そういう人達の中で、どこまで通用するかと思ってました。そこで自分が途中で消沈しないようにサクラを仕込んでいたら、サクラまでアガっちゃったという(笑)」

 点数を付けるとすれば?

長四楼「0点ですね」

 ひとつも良い所はなかった?

長四楼「これが修行なのかなって思いましたね。自分でも『俺はちょっと位やれるよ』っていう浮ついた気持が正直あったかもしれません。自信もあったかもしれません。だから入門をお願いしたんですけれど」

 私も活動弁士になるのを決意した時、自分には凄い才能が眠っていて、あれよという間に売れてしまうのではないかと思ったりもした。藝人になる者は、誰でも一度はそんな夢想をするのではないだろうか。

立川長四楼

 

●長四楼が長四楼になるまで

 インタビュー日は12月25日。初高座から10日しか経っていない、記憶の生々しい時に話して頂いた事になります。
 では長四楼さんの生い立ちから落語との出会いについて伺わせて下さい。

長四楼「秋田県で生まれまして、バカが付く祭男なんです。もう祭りが全てですよ。祭りの為に仕事を何社変わったかっていう。土崎港祭りや、飾山囃子(おやまばやし)っていう角館の山車をダァッッン!ってぶつけて喧嘩する、その祭りで喧嘩を負けたくない為に極真空手を習ったような状態ですから」

 祭り以外の関心事は?

長四楼「高校を卒業して、大学に行くと称しては金を貰ってバンドに明け暮れていたと。永ちゃん(矢沢永吉)、クールス。あとレッドツェッペリンだとかエアロスミスだとか。バンドやったりヤンキーやったり、喧嘩やったり色々。で、大学には行きそびれてしまいました」

 典型的と言うべきだろうか。

長四楼「そういう状態でいても歳がいってくると、それそろ就職せぇや、という事になりまして地元の仕事をしてました」

 就職をしても祭りに係わっている為には転勤出来ない。そうなれば仕事を辞めるしかない。至極明快な理論で長四楼さんは生活し、結婚・長男の誕生を経験する。

長四楼「42歳になるまで秋田から出た事がないという。それまでに3回転勤断ってるんです。でも飾山囃子は厄年越えるとメジャーな部分からは引くんです。それと子供がその時、小学校6年生で東京に行って(野球の)シニアリーグに入りたいという希望が出てきて東京に転勤を決意したような状況なんです」

 それが今から5年前。

長四楼「家族で一番自分がメソメソしてたんですね。事ある毎に、祭りに帰りてぇとか、こんな所人間の住む所じゃ無ぇとか。秋田にいる時はふんぞり返って仕事してたんですけど、年下の奴にデカイ顔されたり、人間関係では悩みましたね」

 仕事が重荷になってしまった。

長四楼「市場がデカくて面白いなと思ってたんですけど、それと同時に営業マンてのはサボりますわね(笑)。東京は事欠かないなと、サボってても見つからないなと」

 そこで辿り着いたのが寄席だった。

長四楼「寝るつもりで行ったのに寝なかった。そういう事で四軒ある寄席に行ったりしていたんです」

 現在都内には365日やっている寄席が新宿末広亭、上野鈴本、池袋演芸場、浅草演芸ホールの4軒ある。これに国立演芸場等の準寄席とでもいうべき施設が数軒、さらに公営施設での落語会、民間で運営する落語会、さらには落語家自身で企画する会などが存在している。単純に考えても都内で落語を聴ける場は、毎日10箇所以上確実にあるのだ。

長四楼「正直言いますと落語にハマった訳じゃないんですよ。あの雰囲気、お祭りに似てるなと。泣きたい位、死にたい位帰りたいお祭りの雰囲気を東京にいて味わえる」

 色々な入り口があるものだと感心してしまう。では東京に来るまでは落語に縁が無かった?

長四楼「秋田にいた頃は興味がなかったですね」

 若い頃から落語ファンで、想いが募っていたのだと予想していた。これを読まれている方も私と同じではないでしょうか。

長四楼「お囃子が鳴って、太鼓が鳴って、摺り鉦(すりがね)が鳴って、気の利いた所では笛が鳴って、着物を着たおじさんが出てきて……。結構お祭りの噺もあるし、提灯がぶら下がってて、紅白があって。まったく祭りなんですよ、僕からすると」

 東京にも三社祭に代表されるような祭りはある。しかし長四楼さんが求める祭りの雰囲気は寄席にこそあった。

立川長四楼

長四楼「ある時に葛飾区の主催で落語教室が開催されたんです。最初は会社でやってるプレゼン位にしか考えてなかったんですけど、実際にやって、そこそこウケて、目立ちたがり屋の血が騒ぎましてね」

 血が騒いだ結果、落語教室の仲間を集めて素人落語集団を結成してしまう。こういうアマチュア落語団体を天狗連(てんぐれん)という。長四楼さんが音頭を取ったこの団体は現在もメンバー交代がありつつ元気に活動しているとの事。長四楼さんはもうプロなので、そこに出る事はもう無い。

長四楼「その中で素人の限界を感じちゃったんですね。自分はいつもそうなんですけど、趣味で終わりたくない部分があるんですよ。趣味っていうのは楽しいはずなのに『素人にしてはうまいよね』っていう、素人にしては、っていう前提が付くのが嫌な生意気な人間なので、プロになりたいなと、なぜか46の時に思っちゃいまして」

 思っちゃっても普通は行動に起こさない。

長四楼「今までの自分を考えた時に器用貧乏みたいな所があって。釣りでもゴルフでも、何でもかじっちゃった。一生のうちでコレっていう物、自分はコレっていう特別な事に浸って生きたいなと思ったら落語だったんです」

 様々な人生経験を積んだ上で落語家という人生を選んだ。それは10〜20代頭で人生を選ぶのとは別種の重みがある。
 
 残念ながら今回はここまで。次回は家長が突如、落語家になると宣言した家族の反応や、長四楼さんならではの前座感などを聞いていきたいと思います。

 

撮影・スズキマサミ