★裏方に訊く 2010年4月
ゲスト
「能楽師・佐久間二郎」


【全3回 其の3

 春眠暁を覚えずと申します。ワタクシなどは言葉どおり、それは良く寝るので御座います。眠くて眠くて仕方がない。
 眠るといえば、藝の世界には「客が眠れるようになったら一人前」という考え方があったりします。これは良き藝に触れると心身ともにリラックスするからなのでありましょう。だからといって客席のそこら中で白河夜船を決め込まれたら演者は気が気でない。
 で、能ですが、大学の時に演劇学科の先生が「能は眠りながら観るものだ」と授業で仰ってました。
 今にして思えば、能を観てレポートを提出しなければならない生徒の気を楽にしてやろうとの心遣いだったのだと思うのです。でも、本当に寝てる奴いたなぁ。どんなレポート書いたんだろうか。
 舞台に立つ者として夢見るように観てもらいたいという欲求があるのは事実です。そして能は確かに夢と現実の合間を巧みに表現している藝能だと思うのです。

能楽師・佐久間二郎

演目「船弁慶(ふなべんけい)」



●能面と能の演技論

 能面との出会いに端を発し、能楽師になった佐久間さん。能面には不可思議な魅力があるのかもしれません。
 能面の種類は何種類あるのでしょうか?

佐久間「大別して5〜60種でしたかね。細かく分けると300種類って言われますかね。創作面とか、新作面ていう新しい面も出てきてますね。空海とか基督(キリスト)とか」

 キリストの面が能にある?

佐久間「パウロとかね(笑)」

 それも舞台で使うんですか?

佐久間「そうです。能楽師が注文して作るんです。『復活の基督』とかっていう能がありますね」

 そもそも能面というのは、どういうものなんでしょうか?

佐久間「例えば女面一つ挙げますと、中間表情なんですよね。うつむけると『曇らす』って言って泣いてる感じ。あお向けると『照らす』って言って笑ってる感じ。どの角度から見ても美しく見えるように工夫がされてるんです。
 それと最近はなくなったんですけど、昔は役者の顔の寸法に合わせていたみたいですね」

 全てオーダーメイド。

佐久間「絶対に人間の顔よりも大きくは作らないんです。私達は『面(おもて)を掛ける』あるいは『面を付ける』っていう言い方をします。『面(めん)を被る』って言い方はしないですね。バリ島のガルーダみたいにがぼっと被るんではないんですね。だから面(おもて)なんです。顔の表側に付けるんです。
 これは良くワークショップで話をするんですけれど、何でがっぽりいかないかって言うと魂乗っ取られちゃうんですよね、能面に」

 がっぽり系の民族舞踊は、確かに精霊を降ろすシャーマニズム的な物が多い気がしますね。

佐久間「私達が『面を付け』ているって事は、この舞台に上がっているのは役そのものではないんです。
 お客さんの前に立っているのは小野小町の亡霊じゃないんです。小野小町を表す、若女という能面を顔に当てている、佐久間二郎という能楽師が舞台にいる、という観方なんです。私は小野小町です、ってなっちゃうと乗っ取られちゃいます」

 西洋の演劇論とは真逆の演じ方ですね。

佐久間「なりきらないんです」
 
 あえて役との距離を保つ。

佐久間「能面って(舞台の準備で)一番最後に付けるんですよ。で、終わって幕に退いたら、まず能面から取るんです。いつまでも付けてちゃ、あぶない」

 ハリウッドには撮影を終えた俳優が、役から離れるためのカウンセラーがいるそうです。

佐久間「ちょと変な話になっちゃうんですけど、去年の8月に『錦木(にしきぎ)』っていう曲をやらして貰ったんです。これは3年、女のもとに通い続けて求婚するんですけど、フラれて自殺しちゃう男の話なんです。後になって塚の中から出てくる、その男の亡霊を私がやったんです。
 錦木男、っていう能面があるんですけど、師匠自身その面がどっから来たのか知らないんです。それで私の兄弟子が『俺が20年前に“錦木”やった時エライ目にあったんだ』って言うんです」

 どんな目に?

佐久間「終わったその夜に、塚に埋められて蛇に絡まれる夢を見たんだそうです(笑)」

 いわくある面だったんですね。佐久間さんには何かあったんですか?

佐久間「演じ終えて、幕に退く時に呼吸が出来なくなった。興奮してたのかも分かりませんけど。
 家帰って、ビデオ見返したんですよ。そうしたら全く自分の意識していない動きをしているんですよ、何箇所か。
 私達は能面をいかに操るかって一生の課題なんですよ。でも、自分がそんなつもりないのに顔が勝手に動いていて、凄い表情になっている場面があったんですよ。どう考えても、こんな動きしていないはずなんだけど、って。もしかしたら錦木男さんが何かしでかしたのかもしれない(笑)」

 これ書いちゃったけど、変な夢見たりしないだろうか、私。

 

能楽師・佐久間二郎

 

●能、過去から未来へ

 能が盛り上がっていたのはいつの時代なのでしょうか?

佐久間「まず江戸時代ですよね。大名のたしなみだったので擁護されていたんですね。一回将軍の前で演じたら、三代先まで遊んで暮らせるだけの俸禄があったんですって(笑)」

 ハリウッドセレブすら貧乏人に見えるエピソード。

佐久間「ただ、色んな掟があったみたいですけどね。能楽師は帯刀が許されていたんですけど、将軍の前でミスしたら切腹な訳ですよね。だから必ず役者は短刀を楽屋に置いて(舞台に)出たっていうんです」

 ハイリスク・ハイリターンだった。

佐久間「幕府が倒れても、今度は明治の財閥の人達が擁護してくれたんです。ところが第二次世界大戦の後に、いよいよ誰も擁護してくれなくなった。その時に、当時の能楽師の人たちは、もう頼るものがないからって流儀を問わず集まって、必死になって盛り立てたんですって。
 ですからその時代を生き抜いてきた人たちの藝って映像でしか見られませんけど、凄いですよ、やっぱり。もう涙ものですよね。名人藝なんて言葉では生温いくらいの。本当の意味での黄金期ですよね。 
 だから大先輩方が続けて下さったものを、私等が絶やしちゃいけない」


能楽師・佐久間二郎

  

 今日まで能が連綿と伝えてきたものとは?

佐久間「人の魂ですよね。
 能って登場人物の8割方が幽霊か亡霊ですよね。それって魂を繋いでいくという意図があったから、必然的にそういう話になったと思うんですよ。
 ですから能は魂を受け継いで、また次に伝えてゆくのが務めなんだと思うんです」

 伝わっている実感はありますか?

佐久間「私が能楽師を本職に選んだっていうのはそこですよね。自分が本職にならなければ伝えられないと思ったから。好きなだけだったら趣味でやってる方が遥かに気が楽ですよ(笑)。
 でも最近になってからですね、そんな大げさな事を考えるようになったのは。子供の頃には、山梨に能を広めたいからっていう理由でしたね」

 子供の頃、既に能を広めたいと思っていた?

佐久間「小学校6年生の作文に書いたんですね。
 国立能楽堂の松の緑の色があまりにも鮮やかだ。でもきっとこの松の緑は、僕が大人になって、お爺さんになったら色褪せてくるだろう。だけど僕は能が色褪せないように生きたいです。みたいな事を(笑)」

 上手くまとめる小学生ですね。

佐久間「私はいつ死ぬか分からないけども、自分が能楽師になっている以上、自分自身が死ぬまでは能は生きている事にしたいと思うし、そのつもりで生きています」

 では佐久間さんが今後、能楽師として取り組んでいきたい事とは?

佐久間「やはり山梨に能を広めていきたいとは思っています。『武田の杜薪脳』もお陰様で6回目になります。自分の地元で能を頻繁に演じて、一人でも多くの愛好者をつくっていきたい、というのがあります。
 じゃあ山梨に帰れって話になるんですけども(笑)、やはり東京に居るっていうのは自己研鑚ですよね。自分の藝が伸びていかない限りお客様に(能を)普及する事は出来ないので。
 その点はひと昔前から考え方が変わりましたね。何でも能を知ってもらいたいという考えから、ようやく自分自身を磨く事に専念する気が持てるようになってきたかな、という感じですかね」


能楽師・佐久間二郎

  

 今回のインタビューは活動写真弁士の私としては非常に考えされられる点の多いものでした。というのも能と活弁は状況が似ているのです。
 第一に、一般の方が観てもいないのに「古臭い」「退屈だ」と決めつけてしまいがちな点。第二に、その割には形式や理念の良い所取りで他分野の人達が利用したがる点。
 それも発展じゃないか、認知度が上がってきた証拠じゃないか、という意見もあります。けれどそこに魂は伝わっているのかと言えば、私はNOと答えざるをえません。
 今、活弁風のパフォーマンスが増えています。能風味のパフォーマンスは数え切れない程に存在します。
 そんな中でも小学生の頃から能に魅せられてきた佐久間さんの目には本当の能が映っているはずです。能の評価を決めるのは、それを観てからでも遅くはないのではないでしょうか。


 

 

 

《佐久間二郎・公演情報》

武田神社ご鎮座90周年記念
「第6回 武田の杜薪能」
5月15日(土)16:30開演
武田神社能楽殿(山梨県甲府市)

【出演】
 観世喜之
 観世喜正
 野村萬斎
 佐久間二郎  

【演目】
 能「翁」
 狂言「昆布売」
 能「菊慈童」

詳しくは
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hanamiti/


公演写真 提供・佐久間二郎
撮影・スズキマサミ
撮影協力・矢来能楽堂