★演者に訊く 2011年6月
ゲスト「唄うアコーディオン弾き・遠峰あこ


【全3回 其の1

 3月の地震以来、以前のままではいられない、といった言葉が多く聞かれます。それは創作に関わる面であったり、安全管理の問題であったり。
 ではそもそも、私達の以前とはなんだったのか。私達はどこに足を置いて日々を送っていたのか。そんな事を考えたりもします。
 藝能には過去の出来事を伝える、という役割があると思います。新聞や映像のように正確ではないかもしれませんが、大事な部分を抽出して後世に語り継ぐ事を連綿としてきた、というより語り継ぐことをそもそもの目的とし、その為の技術が藝能の重要な幹を成していると言えなくもありません。 
 今回の災害を私達はどう語り継ぐのでしょうか。

 さて、歌は世につれ世は歌につれ、なんて言葉があるように、人間の社会には、いついかなる時にも歌があり、音楽がありました。今回はそんな音楽の世界の藝能者、遠峰あこさんからお話を伺いました。

遠峰あこ

 

遠峰あこ(とおみね あこ)
唄うアコーディオン弾き
横浜うまれ、横浜育ち
日本古来の民謡の現代風アレンジや、今の時代を唄う新しい民謡を作り、アコーディオンで弾き語る。
大道芸・祭などのイベント、ライブハウスでの演奏、老人ホームでの唄会、寄席の色物、野毛の居酒屋流しまで、様々なライブを開催中。
2006年フルアルバム「夢見る機械の娘」、2009年ミニアルバム「横濱ほーらい節」を発売。寿町応援CD「寿町応援唄」を2009、2010年に発売。同CDの売り上げは寿町の炊き出しに寄付されている。

遠峰あこ HP
 http://www.tominegumi.com/

 

「電気が無くても出来るような音楽が
やりたいと思って」

 遠峰さんの肩書きは、唄うアコーディオン弾き、との事ですが、そもそもなぜアコーディオンだったのでしょうか?

遠峰「小さい頃からやってたとかじゃないんですよ。バンドは高校生の時からやってて、ギター弾いたり、あと打ち込みとか機械的なテクノだったりパンクだったり。
私、映像を作る仕事をやってたんですよ。音楽も仕事も全部パソコンでやってて、電気がないと何も出来ない自分になっているなと、ふっと気付いた時に、情けないような気持ちになっちゃって、電気が無くても出来るような音楽がやりたいと思って。
それで一人でライブがやりたかったんで、唄いながら弾ける楽器で、電気を使わない物っていう消去法でアコーディオンになりました」

 他に候補の楽器は?

遠峰「ギターは、やってる人いっぱいいるじゃないですか、だから(笑)」

 高校時代にバンドをやっていた時には民謡をやったりは?

遠峰「ぜんぜん。民謡を最初に聞いたのは野毛なんですよ。野毛の大道芸っていうお祭りがあるんですけど、伊藤多喜雄(いとうたきお)さんていう民謡歌手の方が毎年出てて、野毛山節っていう野毛の民謡を唄われてて、横浜にも民謡があるのかって凄い驚いて感激したんですよ。
それが高校生の時だったんですけど」

 バンド少女に民謡が衝撃を与えた。

遠峰「音楽ってライブハウスみたいなところでね、同じ様な格好をした若者が『いえ〜い』とかってやるのが音楽だと思ってたんですけど、多喜雄さんは大道藝で唄ってて、おじいさん達から、ちっちゃい子達まで皆で手拍子したりして。
こういう音楽もあるのか、っていうのは凄い衝撃だったんですよ」

 とはいえ、そこで民謡を始めたりはしなかった?

遠峰「まさか自分が民謡やるとは、その時は思ってなくて。
大人になってから仕事で上野に住むようになってから、その頃、仕事が凄い大変で、電気まみれで、時間とかもメチャクチャになってたりして、このままで良いのかなって思ってて。
そういえば民謡ってあったな、って思い出して浅草の民謡教室で習い始めたんですよ」

遠峰あこ

 

 映像制作の仕事はどのくらいの期間されていたんですか?

遠峰「8年くらい。けっこうやってました。お金も結構もらえたけど、凄い大変で、身体も具合悪くなってきたし。朝とか夜とか関係なく、ずぅっと起きてて何かやってたり、一週間くらい帰れないのも普通だったし、ずっと締め切りに追われてるんですよ」

 仕事をやりながら民謡を習い始めた?

遠峰「そう、最初はそうですね。で、アコーディオンも始めて。自分がどういう風な音楽活動をしていけるのか全然分かんなかったから、趣味みたいな感じで、まず最初にCD作って、そのCDを売りたいなと思って、友達に誘われて野毛のライブハウスで2曲くらいやったの。そしたら、一緒に出演してた方が、すぐそこの居酒屋の常連さんで『そこの居酒屋の店長さんがライブやる人探してるよ』って言われて、居酒屋さんで流しみたいな事始めたんです」

 つるりと。

遠峰「そしたら、そこの居酒屋の店長さんが野毛大道芸の実行委員長だったんです。それで『面白いから大道藝も出て』ってすぐ言われて、野毛大道芸も出れたんですよ。そんで、そのまま今がある(笑)」

 これまた、つるりと。

遠峰「アコーディオンで演奏を始めたら、ウチでもやって、ウチでもやって、みたいに言って頂いたりして。一緒にやりたいっていうメンバーの人も現れたりして。凄くアコーディオンと民謡のおかげだな、って」

 唄で生きていくつもりで民謡を習い始めたんですか?

遠峰「そういう事はぜんぜん」

 とりあえずCDを作った。

遠峰「テクノみたいなバンドとかやってたから、機材とか持ってたんですよ。宅録的な事をやることは出来たので。
 その時はまだ東京にいたんですけど、たまたま横浜の友達にやんないかって言われて、たまたま帰ってきて、そしたら紹介してもらったっていう。凄い偶然」

 横浜で生まれ育ち、横浜の民謡に衝撃を受けた遠峰さんが、数年の東京生活を経て、新たな活動を始めたのは、やっぱり横浜だった。

遠峰あこ
 

「日ノ出町とか野毛には
恩返し出来たら良いなと思ってます」

遠峰「東京で住んでて、横浜でアコーディオンの演奏やってたら、やるたびに色んな人との出会いがあって、そっちが楽しくなっちゃって。
 もうこれで良いじゃん、と思って(笑)。映像の仕事とか全部やめて、帰ってきちゃったんですよ」

 土地に根ざした活動を精力的にされていますね。

遠峰「町とかの方から『やって下さい』って言ってくれていて、それが嬉しくて。日ノ出町の駅前でも月1回路上ライブをやってるんですけど、それも日ノ出町を音楽溢れる町にしたいからやってくれないか、って向こうから言ってくれたりして。
だから」

 この土地は藝能に優しい。

遠峰「やっぱ下町気質。浅草とかに似てると思う」
 
 野毛界隈は子供の頃から遊び場だったんですか?

遠峰「危ないから行っちゃ駄目って(笑)。最近は綺麗になりましたし、安全だと思うんですけど、前は駄目って言われましたよ。だから大道藝のときしか来ちゃ駄目、みたいな」

 これからの拠点は、ずっと横浜で?

遠峰「そうですね」

 今後売れに売れて、東京のほうが都合が良くなるかも。

遠峰「うん、まぁ無いかな(笑)。今はインターネットとかも出来ちゃって、どこにいても同じですわね」

 でもライブはどこでも同じにはなりませんよね。

遠峰「ライブは大事っていうか、これからはライブの時代だっていう気持ちがありますね。YouTubeとかで、ちらっと見て、それで分かったつもりになりがちだけど、生で見ないとこんなに分かんないなんだな、っていうのはありますね」

 実際、遠峰さんは方々で引っ張りダコなのである。ではどんな所で、どんな唄を唄っているのか。

 それは次頁で伺いましょう。       

 


遠峰あこ

 CD絶賛発売中! 詳しくはオフィシャルHPを。
 ※残念ながら写真右のオリジナル手拭いは売り切れてしまいました。
  近々夏の新色で再発売になります。

 


撮影・スズキマサミ