★演者に訊く 2012年4月
ゲスト編みメーター・やたみほ」


【全2回 其の1

 近年クールジャパンという言葉を見たり聞いたりする機会が増えてきました。何の事だろうと思って調べてみると、日本には工業以外にも良い物が沢山あるから海外にドンドン紹介してバンバン儲けちゃおう、って事のようであります。

 そんなクールジャパン最大の目玉は、何と言っても漫画でありアニメであるのは間違いありません。海外の主要都市にあるDVDショップに行けば、アニメコーナーには日本の作品が棚一杯に陳列されておりますし、海外から若者が声優を志して日本にやってくる時代でもあります。

 日本アニメはかつてないほど、大きな市場を手に入れていたのです。しかし我々が普段、何の気なしにアニメと呼ぶものは広大なアニメーションの一部分でしかないのも事実です。テレビで見ることが出来るアニメに留まらない奥の深い世界がそこにはあり、これまで人間は様々な工夫をしてアニメーションを製作してきたのです。

 今回お話を伺うのは毛糸に生命を与えるアニメ作家=編みメーターのやたみほさんです。

やたみほ
1974年7月26日生
1997年 白百合女子大学文学部児童文化学科卒業
1998年10月〜 某出版社退社後ヤマムラアニメーション有限会社で山村浩二氏のアシスタントをしながらアニメーション制作を学ぶ。
1999年〜 編み物のアニメーション 編みメーション製作開始。
2004〜2006年 こどもの城 AV事業部で非常勤職員として勤務。
手芸によるアニメーション、絵本イラスト制作のほか、アニメーションや編み物のワークショップも行っている。
日本アニメーション協会会員。

やたみほ HP
 http://www.hh.iij4u.or.jp/〜yatamiho/

 

「絵を描くよりも編んだ方が
自分の思う形になるって思ったんですよ」

 編み物のアニメーションで編みメーションとは、なるほどというネーミングですが、どういう経緯で生まれた言葉なんですか?

やた「最初は編み物アニメって言われていて、早口言葉みたいに言いにくいよねっていうことで話していたら、ある編集者の方が『編みメーションだね』ってボソッと仰ったんですよね。そうですね、それ頂きますって。元々はオヤジギャグ風に仰ったんですけど(笑)。
 編みメーターっていうのは自分で考えて」

やた「家に毛糸があったんです。それだけなんです(笑)。母が家政科で色んな手芸をやっていたんで、家に母が作ったものがちょこちょことあって、毛糸もあったんです。中学の時に手芸部だったので編み物の経験はあったんですね」

 編みメーションの一番最初の作品は、いつ頃制作されたんでしょうか?

やた「1999年ですね。98年の終わりから作り始めて99年のお正月に完成。
 今アニメーション協会に入ってるんですけど、その時はまだ入ってなくて、協会員の方の上映会が恵比寿であったんですね。持ち込みOKの上映会もあって、先生に『何か上映してみたら』って言われて。でも大体其処に参加する方は美大生ばっかりなので作品を見たらとても追いつかないし、何かインパクトの有る物を作ろうって思った時に編み物があって」

編みメーター・やたみほ

 インパクトを与える事は出来たんでしょうか?

やた「あはは、って何人かの人が笑って終わったという〈笑〉。多分異質だったんでしょうね。芸術的な作品の中に、突然凄く分かりやすい作品が出てきたので。『私は魚』っていうお話だったんですけど、♪私は魚〜、ってお魚が出てきて『Fish!』って言うんですよ。で、その後釣られて『Dish』になるっていう終わり方なんですよ(笑)。2〜30秒位の作品でしたね。
 その時声をかけてくださる方がいて『また次作ってね』とか言われると嬉しくて。作品をきっかけに色んな人と話も出来るし、繋がっていけるので、それから作り続けています」

 衝撃的なヒラメキがあって毛糸を手に取った訳ではない?

やた「編んでみようかなー、って思ったんです。背景を描くとか、物を描くとかがとても大変だったので。粘土だと汚れるし。
 その時、あたし絵を描くよりも編んだ方が自分の思う形になるって思ったんですよ。でも中学の時もそうだったんですね。友達が好きなキャラクターがあって、毛糸で編んでみたら形になって、それをプレゼントした事もあって。
 絵だと、どこまで描きこんでいいか分からなくて、ひとつの絵を描くのに三時間も四時間も掛かっちゃうんですね。編み物ならもっと早く出来るのになって」

 編みメーションを作る時に下絵のような物は用意されるんですか?

やた「他の方がデザインしたものはその通り作るんですけど、自分はあまり絵も得意ではないのでいきなり編んじゃいますね。でも作ってから苦労はありますけど。ちゃんと設計しとけば良かったとか」

 編みメーションには欠かせないのは何と言っても毛糸ですが、毛糸の特性はどこにあるんでしょうか?

やた「編めて解ける、再生、というのが特性じゃないかと皆さんから言われますね。あと、みんなで繋がっている。今までお仕事を頂いた広告のキャッチフレーズは『世界は繋がっている』だったり、そういうテーマのお仕事は頂きますね」

 普段は編み物をされるんですか?

やた「全くないですね。子供がお腹を壊したから腹巻を編もうってくらいで、それ以外は何も」

 実用品を作る事はあまりない。

やた「無いですねー。面倒くさくなっちゃう(笑)」

 編むのは速そうですけれど。

やた「みたいですね。本の通りに作るのが苦手なんですよね」

 熟練のジャズ奏者のような発言。

編みメーター・やたみほ
 

「頭にあるイメージを
そのまま出せば良いんだと思って
アニメーションを作ったんですね」

 やたさんとアニメとの出会いは?

やた「アートアニメーションを見始めたのは、大学生の時に海外に行ってアードマン・アニメーションズ(『ウォレスとグルミット』シリーズ等)を見たりとか。『ピングー』とかもそうなんですけど、普段テレビで見る手描きのもの以外でも良いんだっていう事に気付いて、絵は苦手だったんですけど、立体なら出来るかもって思ったんですね。
 ちょうどビデオカメラが家庭にも一台あるようになって、これでちょっとずつ録画すればアニメ出来るかもって思って、家で粘土で適当に作ってみたら面白くて。動きはカクカクした感じなんですけど、動いたっていうのが感動しますね。アニメーションって言う意味が命の無い物に命を吹き込むっていう意味なので、まさにそれだって」

 アニメ作家を目指すきっかけになった?

やた「その時は趣味で作ってたんです。絵本とか児童文学を勉強していた時で、動くのも楽しいし、自分でお話を作ってみようかなって思って。
 中学生の時に『ムーミン』が好きで、テレビアニメのイメージが強かったんですけど、元々は北欧の本なんだっていうのを知って、読んだら哲学的な感じで面白くて、それ以来童話作家になりたいなっていうのがあって大学も児童文学に入ったんです」

 最初はストーリー志向が強かった。

やた「そうですね。文字でも書いてたんですけど、国語が得意じゃなかったので描写能力が無いなというのに気付いて、じゃあ頭にあるイメージをそのまま出せば良いんだと思ってアニメーションを作ったんですね」

 クレイアニメ(粘土アニメ)はどの位の期間作っていたんですか?

やた「三年位作ってました」

 その時も趣味として?

やた「会社に入ってもやってて、一年半会社に勤めてたんですけど山村浩二さんのアシスタントをさせて頂ける事になって、会社を辞めてアニメーションの世界へ。
 まだその時は編み物をやっていなくて、粘土の作品を山村さんに見て頂いたんです。稚拙ですけど何か感じて頂いたみたいで……」

 編みメーター・やたみほ

カメラで1枚1枚撮って、それを繋ぎ合わせて行く。原理はパラパラ漫画

 

 ちなみに山村浩二さんとは2002年『頭山』がアカデミー賞にノミネートされた事でも知られています。れまでの国際的な受賞は70を越している、日本を代表するアニメーション作家です。

やた「出版社に勤めてたんですけど、他の出版社に山村さんと仕事をした事がある方がいて、紹介して貰って。
 最初は電話で『何でもよいのでお手伝いさせて下さい』とお願いをしたらお会いして頂けることになりました。面接で『弟子にしてください』と言ったようですが、緊張していてあまり覚えていなくて。その時はお忙しい時期だったので来ても良いとお返事を頂いて。すごく嬉しかったですね。
 その後3年程通わせて頂きました。今は飛び込みでの対応はされていないようなので、本当にラッキーだったとしか言いようがありません。今振り返ると何て厚かましいことをしたのだろうとすごく恥ずかしくなりますけど…」

 アニメーション作家の弟子になるというのは、アニメを専業にする事を目的にしていたんでしょうか?

やた「アニメーションの作り方が分からなかったので。その時は作るソフトもなければ、パソコンも持ってないし。まずアニメーション作りの現場を知らなくて。
 アニメーションの世界に行きたいと思った時に、動画を描くアニメーション学校にも見学に行ったんですけど、テレビアニメの世界なのでひたすら動画を描くだけで、全然違う方向性だったんですね」

 まずはアニメの作り方を学びたかった。

やた「Macを買って、こういう風にやるんだ、って」

 山村浩二さんの弟子として、どんな生活をされたのですか?

やた「その時には先生が一人でとにかく全部作られるので、私は絵を取り込むとか、機械的な操作ですよね。あとはお買い物行ったり、お子さんの子守をしたりとか。あとは今では考えられないけど、ご自身でビデオを作られて販売するっていうので、色んな所に営業で回って。でも置いてくれない所もあったりして。今思うと惜しい事をしたと思われてるだろうなと(笑)。
 とにかくお手伝いをさせて頂いて。手描きの仕事が一番多かったんですけど、折り紙だったり、立体のストップモーションアニメもあれば、手描きもあって、先生の仕事には色んなジャンルの物があったので、その度に違うものを経験させて頂けたので、それだけで充分。
 あとは家に帰って自分で作るという」  

 その頃はまだ粘土で?

やた「最初は粘土だったんですけど、学生さんが作品を先生に見せに来るんですね。そうするとやっぱり凄いので自分のオリジナルの物をと思って、半年位してからですかね、編み物を始めて」

 そこで作った作品が『私は魚』という訳ですね。

 

 やたさんは「国語が得意じゃなかった」「絵が苦手」と色々不得意があるような言い方をされていますが、それが却って個性になっているのが分かります。
 教育で繰り返し叫ばれている「個性を伸ばす」とはこうありたいと思う次第。

 さて、次回は編みメーション作家としてご自身の作風が確立され、今に至るまでを伺っていきたいと思います。

編みメーション