★演者に訊く 2013年11月
ゲストソロコメディー・小心ズ(ヤノミ)


【全3回 其の1

 今回お話を聞かせて頂くのは小心ズというユニット。二人組だったのが現在はヤノミさん一人のユニットになっております。バンドなんかでよくあるタイプの一人ユニットです。
 どういう藝かと言われるとそれもまた説明が困難(笑)。演劇的パントマイムコメディ、とでも言えば判って頂けるか……かえって判からなくなってしまったか……。
 活動を始めてから早々に海外の演劇フェスなどに参加し、今年は2度の渡米と台湾での公演もありでほとんど日本に居ないという状況。今までの北米ツアーでは7つのアワードを獲得する快挙を成し遂げています!!

 その独特な藝風はどこから生まれたのか、海外での公演のきっかけは、などたっぷりお話しを伺いました。

小心ズ(ヤノミ)
大分県出身。
流山児★事務所での演劇活動を経て2005年に小心ズ結成。
劇場という枠にとらわれないボーダレスな活動を目指し、小心ズの作・演出・プロデュースを手掛ける。
独特の愛嬌あるガラの悪さで、常に人々にサプライズと希望を与える。リズム感と熱い情熱で世界をつなげるパフォーマー。

・小心ズHP
 http://shoshinznet.web.fc2.com/

 

「とにかく劇場から飛び出したいって思って」

 小心ズはどんな肩書きで紹介すればいいでしょう?

ヤノミ「う〜ん、わかんないです(笑) 海外ではフィジカルコメディーで通ります。言葉を使わない身体表現でのコメディーってことですね」

 パントマイムとかパントマイムコメディーと紹介されたりすることが多いかと思いますが。

ヤノミ「私はパントマイム教わったことないし、大道芸フェスとかでパントマイムの方と一緒になることも多いので、そのくくりで紹介されたらパントマイムの方に失礼ですね(苦笑)
海外ではクラウン(道化師)って言われることが多いんですけど、私は一輪車乗れないしマジックもしないし、同じなのは顔を塗っている所だけで(笑) だからソロコメディーって言ってるんだけど、面白いこと言うコメディアンとも違うし、基本無言劇だし……」

 以前ゲストで出て頂いたto R mansionもそうだし、いわゆる形容しようがないスタイルの藝である。この文字では言葉では表現できないもどかしさを、どうかご理解頂きたい。幸いwebという媒体では動画で紹介できるので、冒頭にある動画を是非見て頂きたい。

 形容しがたい藝のスタイル、オリジナリティとも言いますし、形容しがたいが故に広まらない藝もありますし、オンリーワンであるためにそこを目指す方もいます。小心ズはいかにしてそこにたどり着いたんですか?

ヤノミ「う〜ん(笑)とりあえず目指すところは老若男女、外人も日本人も、誰でも楽しめる藝ですね」

 始めからそこを目指したんですか?

ヤノミ「始めは普通の演劇を劇団(流山児★事務所)でやってたんです。でも劇場でやる演劇って演劇好きのお客さんが大半で、なんかもっと自由に色んな所で色んな人の前で出来ないかな〜って思ってて。
そしたら知り合いの演出家の木村健三さんが二人芝居を下北沢のバー「Heaven's Door」でやってたんですね。お客さんはソファーに座って酒を飲みながらリラックスして芝居を観ていて、それは私にとってとても衝撃的な事だったんですよ。そこで私もやりたいなって思って、違う劇団にいた友達のクロナツを誘って二人で何かやろうって」

 それは二人芝居という形で?

ヤノミ「始めはそうしようと思って脚本探したんだけど、女二人の芝居でいい脚本がなくて、じゃあオリジナルでやろう、無言劇でやろうって」

 なぜいきなり無言劇の体裁をとろうと。

ヤノミ「そこのお店のオーナーがイギリス人でほとんど日本語がしゃべれないんですね。お客さんもほとんど英語圏の人達で。そこでやるならっていうのもあったんだけど。
それと私も相方も音楽が大好きで、音楽を使って何かやろう、っていうのもあって」

 それが小心ズの始まりですか?

ヤノミ「そう。名前もその時に、私は態度はでかいけど実は小心者で(笑)、本番前は吐きそうになるよ、って話を相方にしたら、私も〜、と言ったんでそのまま小心ズに」

 始めから表現しがたい規格外のスタイルですね。

ヤノミ「始めのスタイルとしては、レストランの白塗りのウエイトレスが何かを待っている。それは誰かを待っているのかもしれないし、そのあたりは曖昧な設定で。で、待ってるだけじゃ退屈なんで、店の中で仕事もしないで一日中遊びほうけてる、っていう設定。
その遊びほうけてる間に色んな曲をかけて、歌詞で何となくストーリーみたいなものを作っていく、っていうやり方でやったのが最初。
2回目からは、観てる人はほとんど外国人で歌詞を歌ってもわかんないし、歌はみんなスキャットで唄っちゃえって」

 それまで劇場で演劇をやってた方からすると、二人芝居とは言え、演劇的と言うよりパフォーマー的な印象が強いですけれども。おまけに白塗りって(笑)抵抗なかったですか?

ヤノミ「あんまり演劇とかパフォーマンスとかの区別も持ってなかったし、劇団が寺山修司作品とかよくやってたんで、白塗りはしょっちゅうしてたから全く抵抗がなかった。
白塗りは仮面を着けるのと一緒で、誰でもない存在になるっていう手法だし、二人が同じ衣装と髪型で白塗りしたらどっちがどっちっていう設定もなくなる、ウエイトレスっていうだけの存在になりたかったんで、そのためには白塗りが最適だったんですね。で、また白塗り似合うんだ私(笑)」

 (笑)

ヤノミ「後にどれだけ後悔したか……。塗るのに1時間かかるし、落とすのも面倒だし(苦笑)」

 あぁ(苦笑)
 それが2005年で小心ズのスタートですね。

ヤノミ「そう。演じる設定は二人の白塗りウエイトレスが店でスキャットで唄ったりしながら遊んでるっていうのと、活動のスタンスとしては、セットを作らない、道具をあんまり使わない、身一つでどこででもやれる、っていうのが始まり。とにかく劇場から飛び出したいって思って。どこにでも行ける、どこででもやれる、お客さんは選ばない、みんなが楽しめる、っていうのを目指していたので」

 劇場から飛び出してバーでやるっていうのもその意思の一環だったんですね。

ヤノミ「だからすぐ路上でも始めたんですよ。下北や原宿の駅前とかで。路上でやるための音響機材があることさえ知らず、ちっちゃいラジカセで音出して。投げ銭を貰うっていう意識すらなくて、その下北のバーでやってるライブの宣伝のためにフライヤーまきながらやってて、警察に注意されたりしながら(苦笑)」

                二人時代の小心ズ。(画像提供 小心ズ)

 

 路上と下北のバー以外での活動は?

ヤノミ「下北のバーで自分達のライブとは別に毎月やってるチャリテーイベントに出たりして、それもきっかけになって他のライブに呼ばれたり商店街のイベントや保育園でもやったし。
ライブハウスで、ハードロック、ハードロック、小心ズ、ハードロック、みたいな組み合わせで出て、こりゃ劇中でスキャットを唄うときに生声じゃ無理だってヘッドセットのマイクを使うこと覚えたり、ライブハウスに出るときは、チケット売ったらチケットバックっていう制度があってギャラが貰えるとか、もう手探りで色々覚えましたよ。
なにせ二人とも演劇出身なんで、始めて下北のバーでライブやった時は一週間公演やりましたから。普通は今ライブって言ったら一日ですけど、その時はその発想すらもない。演劇は何日間公演、っていうのが当たり前なんで(笑)」

 その時にはもう劇団での芝居からは離れた?

ヤノミ「二人だけでも一つの劇団を興すのと変わりはないですから、そんな幾つもやれることじゃなかったですね。
まして小心ズの活動は、演劇ジャンルとも音楽ジャンルとも大道芸とも違う、どこからもはみ出てきた誰もやったことのない事をやろうとしてましたから」

 それは劇場では叶わなかった。

ヤノミ「劇場には劇場でしか味わえない楽しみもあるし、それは十分わかってますし、その中で演劇もやって来たわけですからね。
ただバーで日本語のわからない見知らぬ外人が酒飲んで観てる前でやって、それでも終わってから “面白かったよ、一杯おごるよ” って笑顔で言ってくれたり、路上でやってるときに通りすがりの女子高生が面白って言って飲みかけのジュースくれたり(笑)、ホームレスのおっちゃんが出所のわからないブランドもののチョコレートをくれたり(笑)、チューハイおごってくれたり」

 確かに劇場では味わえない。

ヤノミ「高校生もホームレスも、日本語わからない外人も、劇場には来ない人達じゃやないですか。やっぱりそういう人達の中に入って行って、そこで感じる素直な反応の中でやっていくのが凄く楽しくて。
あとはお客さんだけじゃなくてミュージシャンやダンサーや詩人なんか、今まで関わることすらなかった人達と友達になったし、そういう人達からアドバイスを貰ったり、とにかく貪欲に自分達のスタイルを創り上げていくには、凄く良い環境だったと思います」

               二人時代の小心ズ。(画像提供 小心ズ)

 

 

「活動は無理矢理広げてるだけです(笑)

 海外に出られたのはいつぐらい?

ヤノミ「2006年に知り合いの役者がやってる、やっぱり無言劇をやってるハナケンゴっていうユニットが、カナダの「モントリオール・フリンジ・フェスティバル」に出たんですね。それが現地で大ウケで新聞の一面とか飾るくらい盛り上がったみたいなんですよ。カナダのフリンジ・フェスティバルには前に所属していた劇団も出てたりして、行きたくて仕方なかったんですけど連れて行って貰えなかった悔しい思いもあって(笑)、凄い出たかったんですよ」

 その「モントリオール・フリンジ・フェスティバル」とは毎年6月に開催されている街をあげてのフィスティバル。30館以上の劇場でショーが開催される。
 フリンジ・フェスティバルとは、演劇祭に招待されなかったカンパニーやアーティストが、メインストリームの周辺で独自に自発的に始めたフェスティバル。演劇を含む多種多様な舞台芸術を幅広く受け入れ、ノーセンサー(審査や検閲がない)で自由な表現の場フェアに与える、というところが重要なポイントになるフェスティバルです。俗称フリンジ。
 北米を中心に各地で行われているが、最初に開催され今も最大級のフリンジ・フェスティバルはエディンバラの「エディンバラ・フェスティバル・フリンジ」で3000組近いアーティストが参加しているという。

ヤノミ「翌年もまたハナケンゴが参加することになったんだけど、ハナケンゴと小心ズの二本立てで一緒に行かないかって誘われて」

 なぜ二本立てにすることになったんですか。

ヤノミ「ハナケンゴは30分の作品だったんですけど、フリンジは1時間の持ち時間が普通らしくて、じゃあもう一組とやればちょうどいい、っていう事で」

 自分達だけで十分盛り上げられる現場に誘うっていうのは、小心ズの藝をかなり買ってないと出来ないことですね。で結果はどうでした?

ヤノミ「盛り上がりましたよ、立ち見も出て最終的にはソールドアウトまで行きましたから。でもそれよりそこでいっぱい友達が出来たのが楽しかった。
それで日本に帰ってきて、ハナケンゴのプロデュースのショーをやったんですね、出演者30人っていう。役者からダンサーから映像作家から出てるショーで、そこにモントリオールで友達になったパフォーマーもゲストで呼んだりして」

 凄そうですね〜!

ヤノミ「そこに出てたバーレスクダンサーのチェリータイフーンが私もモントリオールに行きたい、って言うんで、小心ズ+チェリータイフーンで翌年の2008年はモントリオール・フリンジ・フェスティバルに参加したんですよ」

 チェリータイフーンとは日本を代表するバーレスクダンサー。小心ズと参加したフリンジがきっかけで現在モントリオールに拠点を移し、アメリカ・カナダのバーレスクの世界では名前を知らない者はいない、という有名人。

 しかし2005年結成で2007年には海外進出、っていうのはかなり順調な活動の広がり方ですよね。

ヤノミ「無理矢理広げてるだけです(笑)。だってモントリオール・フリンジ・フェスティバルだって呼ばれて行ってる訳じゃなくて、エントリーして参加してるだけで儲かってるわけじゃない。いくら盛り上げようとも(苦笑)」

編みメーター・やたみほ

     小心ズ+ハナケンゴ。モントリオール・フリンジ・フェスティバルにて(画像提供 小心ズ)


 国内の活動はどんな感じでしたか?

ヤノミ「結成の翌年には大分で公演してました。大分は私の故郷なんですけど、田舎過ぎてコンサートも滅多に開かれないし、悔しい思いをしてきたんで(笑)、絶対大分でやってやろうと」

 大分にそういう劇場なりコネクションがあったんですか?

ヤノミ「いや全然無くて、それでもネットとかで色々繋がりをとり持ってくれる人達が現れて、いい店を紹介してくれたんですよ。そしたらそこのマスターがちょうど『大分舞台芸術フェスティバル』っていうのを立ち上げる準備をしていたところだったんですね。それでその第一回にゲスト扱いで出させて貰って、それ以来毎年呼んで貰ってます」

 それはまたラッキーな。

ヤノミ「そのマスターは全国から面白いアーティストや藝人を探して大分に呼んでる、まぁ東京でもめったにお目にかかれないような人ですね。呼んでる面子も濃いな〜みたいな(笑)
それでそのフェスも県から予算も取ってきて、赤字でなくやれてるんですね」

素晴らしい!

ヤノミ「2ヶ月くらい毎週末大分にある劇場で色んな劇団やパフォーマンスが観れるフェスです。料金も映画より安く見れますから、ぜひ10,11月は大分で色んな舞台を楽しんで下さい(笑)」


 

「もうこれは覚悟いるぞって、
全身に鳥肌が立つような興奮でしたね

 海外での活動に話を戻します。2008年に参加した「モントリオール・フリンジ・フェスティバル」に小心ズ+チェリータイフーンに出た際の反応は?

ヤノミ「凄い良かったですよ。やっぱり立ち見も出て最後はソールドアウトになりましたから。新聞にいいレビューも出たし。
その時にフリンジに参加してたThe Cody Rivers Showっていう男性二人組のコメディーのユニットのライブを観たんですね。それがめちゃくちゃ面白くて、世界で一番ぐらい(笑)。2回も観に行ってサインまで貰って。
そのメンバーの一人のアンドリューが私達のショーを観に来てくれて、スタンディングオベーションで拍手をくれて」

 そりゃ嬉しい!

ヤノミ「そう! それでアンドリューが “あなた達はアメリカでやるべきだ。やる気があるなら僕がサポートするから” って言ってくれて。でも私達は半信半疑で、何の事やら……みたいな感じだったんですよ(笑)」

 そりゃそうですよね、いきなりそんなオイシイ話は降ってこない(笑)

ヤノミ「貰った名詞には “shoshinz love” って書いてあって。でも何だかな〜って感じ(笑)」

 ナンパですか(笑)

ヤノミ「そしたら半年くらいしてアンドリューから連絡が来て、“本気でアメリカに来る気があるならツアー組むけど” って連絡が来て、翌年2009年の1,2月で西海岸ツアー5週間7都市をブッキングしてくれたんですよ。
今まで海外で活動してるって言ってももフリンジに出て2,3週間その街で公演するだけですから、5週間もあちこち自分達だけで廻る、それも海外で、今まで以上に凄い事なんですよ」

 凄いです! でも現地ではそのアンドリューがサポートしてくれたんですよね。

ヤノミ「いやぁ彼は彼でパフォーマーとしての活動があるんで、劇場や宿泊先への手配はしてくれても、後は基本ほったらかし(笑)。
だから私達は現地のスタッフの顔すら知らない。駅で待ち合わせてもメイクをしていない私達の顔はそのスタッフもわからない状態。何となく荷物の多さとかの感じで向こうのスタッフが「are you shoshinz?」とか聞いて来てくれて(笑)」

 そうですね白塗りの顔と衣装で移動するわけにいかないですから(笑)

ヤノミ「泊まるところとかはスタッフの家にステイさせて貰う事が多くて。なにせ向こうの家はデカイですからね。でも数日でも泊まっちゃうと仲良くなって、別れ際に泣かれたりして」

 海外版の「田舎に泊まろう」だ(笑)

ヤノミ「スタッフにもアーティストにも友達いっぱいできたし、劇場の評判も良かったし。凄い楽しかった。
そしたらアンドリューが “来年の夏に5ヶ月間フリンジを廻るツアーを組むけど、どう?” って訊いてきて」

 今度は4倍の5ヶ月!

ヤノミ「でも即答、やるっ!!! って(笑)
もうこれは覚悟いるぞって、全身に鳥肌が立つような興奮でしたね」

 

小心ズ+The Cody Rivers Show。モントリオール・フリンジ・フェスティバルにて(画像提供 小心ズ)