★裏方に訊く 2009年9月
ゲスト
「らくごカフェ 代表・青木伸広」


【全3回 其の1

 2009年2月、東京神田神保町にオープンした『らくごカフェ』。文字通り昼はカフェであり夜は落語や講談などが催される会場である。今回はその『らくごカフェ』代表・青木伸広さんにお話を伺いました。
 しかしその前に問題が……。落語というものは昨今ブームであり、寄席や落語会も賑わっていることは確かだが、落語は5人並んでダジャレを言って座布団を取り合うゲーム、だと思ってる人がまだ確かにいるようです。知り合いの落語家さんが地方の公演で呼ばれたとき、「舞台が小さくて5人並んで座れないので、何とか3人でやっていただけませんか?」と言われたことがあるとのこと。そういうこともあり落語というものをざくっと説明しないと、インタビューの中身はわからないものになってしまいそうなので、まずそこから始めます。

 落語は高座(こうざ)と呼ばれる正四角形の台に座布団を敷いて座り、物語の登場人物とナレーションを一人で語って演じる話藝。高座がなく座布団だけの場合もあるが、舞台に上がることを高座に上がると言う。
 話す物語を根多(ねた)と言い、江戸時代から戦前に作られた根多を古典落語、それ以降に作られたものを新作落語と言う。新作落語は必ずしも設定が昔々ではなく、現代を舞台にした作品も多い。
 落語家になるには師匠としたい落語家さんに入門をお願いして、認められて見習いという形で入門。その期間はだいたい数ヶ月で、芸名を貰って前座という身分になり高座に上がることが出来る。前座期間は師匠の身の回りの世話や寄席での修業が中心。期間はまちまちで3年から5年くらい。その次が二ツ目と呼ばれる。この期間は基本的に師匠の世話からは解放されて自分で仕事を取ってきて公演を打つようになる。その時期もまちまちだが約10年くらい。そして真打。真打になると弟子を取ることが許される。
 寄席や演芸場、大小のホールから居酒屋やお寺、最近ではライブハウスなどでも、東京都内なら毎日十公演以上はどこかしらで落語会が開かれている。
 もっと詳しく知りたい方はウィキペディアを参照して下さいませ m( _ _ )m


『らくごカフェ』代表・青木伸広
早大卒 演芸、映画、音楽などエンターテインメント全般に執筆活動を行うかたわら
'09年2月、地元・神田神保町に『らくごカフェ』をオープン。
近著に「面白いほどよくわかる落語の名作100」(監修・金原亭馬生)など。
全日空機内チャンネル「全日空寄席」の構成も担当している。

 

小学校高学年の時には
一人で寄席に通ってましたから

 『らくごカフェ』というものを開いてしまうとなると、よっぽど落語好きということなんでしょうか?

青木「そうですね、もともと大の落語好きですね」

 いつぐらいから聞かれていたのでしょう?

青木「双子の妹がいまして、子供の頃私はわりと放っておかれてたんですね。夜寝るときも親が落語のカセットを聞かせると大人しく寝たという感じで、睡眠学習じゃないですけど幼稚園に入る頃にはもう落語が好きな子供でしたね。落語の何が面白いとかわかってなかったですけどリズムが好きでした」

 ということは親御さんも落語好きだったということですね。

青木「父親が東京の大学で教師を目指していた頃、生まれが宮城だったんですけど訛りが強くて先生は難しいって言われて、それがきっかけで落語や講談を熱心に聞き始めて好きになったみたいです。
僕が小学生に上がる頃には親父が浅草の寄席に連れて行ってくれるようになったんです。でも途中で親父はいなくなるんですね。どうも馬券を買いに行ってたようで、その日の勝敗でものすごい豪華な食事になったり、肉まん1個で済まされたり(笑)。僕をダシにして落語も競馬も楽しんでたみたいです」

 でも小学生が寄席で一人で観てるっていうのは珍しいですよね。

青木「そうですね。高学年になったら一人で通ってましたしね。ですから落語家さんに高座からよくいじられました。そんなに熱心に聞いていて落語家になっちゃだめだよ、とか(笑)」

 落語ブームとされる今でも流石に小学生が一人で来てるのを見たことがない。

青木「そして高校で落研に入ったんですけど衝撃的でしたね、こんなに落語に詳しい奴が他にもいるんだ〜って。だから楽しかったですよ、同世代と落語の話しなんてしたことなかったですから」

 それは1985年頃の話。その当時は落語界自体はどんな様子でした?

青木「最悪じゃないすかね。凄い売れてる人とはいましたけど寄席でお客の数が一桁って言うのはザラでしたから。開演直後に僕一人なんてことは当たり前だったりしましたよ」

 世間はそういう時期でも高校で落研があることに驚く。ではその活動内容とは。

青木「色んな学校に落研があって、それが同盟を組んでたんですよ。それであちこちの会場で勉強会みたいなものを開いてました。会場の人がおもしろがって安く貸してくれたりしたんですよ。
中でも日立が主宰していた『Lo-D寄席』っていうのがあって、50人くらいの会場で高校生を集めて落語会を開いてたんですね。それがギャラも出たんですよ2千円」

 高校生にギャラを払って落語会を開く企業あったというのは、まさにバブル期の話し(笑)。

青木「高校生落語のコンペディションっていうのもあって、ただ1位を決めるようなものじゃなくて、勝ち残ってプロの落語家さんに総評して貰うっていうものだったんですよ。
一度とても厳しくて細かいダメ出しをして下さる真打の師匠が来て下さって、その当時は僕なんかはもうプロになるつもりでしたからいいんですけど、ちょっとした楽しみみたいなもので落語やってる人間は怒ってましたね。何で上から目線でそこまで言われなきゃいけないんだって(笑)。師匠は良かれと思って言って下さってるんですけどね」

 血気高感な高校生達には藝の厳しさを説いたところで伝わらなかったのか。

青木「その次の年もその会は開かれて、今度また説教されるような感じになったら文句言ってやれ、とかそういうイケイケの雰囲気になってたんですよ。世間知らずの高校生の生意気盛りですから。
そしたら今度のゲストは真打じゃなくて二ツ目の方が来たんです。でもその二ツ目さんは、東京の高校生が落語を真剣にやってる姿を見て感激した、君たちがどれだけ稽古して落語に取り組んで来たかも十分わかる、ってホントに感激した様子で言ってくれたんですよ。そして噺の細かい部分も凄く良く見て貰ってて、逆に参考になった部分もあった、なんて言ってくれるんですよ。
そして落語も一席やって貰ったんですが、落語を15歳で10年以上も聞いてるような生意気な頭でっかちの高校生の前でやるんですからやりづらかったと思うんですけど、それが凄い気迫で圧倒されたんです。二ツ目でこんな気迫のある落語をやるのかってびっくりしましたもん」

 イケイケの落語少年達を、気迫の高座で圧倒した二ツ目さん。誰なんでしょう?

青木「それでその後その二ツ目さんが食事に誘ってくれて、色々話しも聞かせて貰ったんですね。当時の落語は冬の時代ですからとにかく落語をやれる場所が欲しいって。とにかく自分で小さくてもいいから会を開かないと演じる場所がない。だからお前達俺の会に来てくれ、学生のウチはタダでいいから聞いて忌憚の無い意見を聞かせてくれって。
それで先輩達にくっついて落語会を追っかけるように観に行くようになったんです。だからその二ツ目さんがどんどん大きくなって行く様子をそばで見られたっていうのは幸せでしたね。
その方は寄席に出てなかったものですから、そう言う部分で自分は一般の前座修行もしていなから自分の落語は古典落語と読んでいいのかわからない。だから自分の落語は『志の輔落語』って言う、っておっしゃてたんですね」

 生意気な高校生達に忌憚ない意見を聞かせてくれ、お代はいらねえ、と言っていた粋な落語家さん、おわかりですね立川志の輔(たてかわしのすけ)師匠です。

青木「で、志の輔さんの会に手伝いで来ていた前座さんがいるんですよ。頭坊主で目つきが悪くて生意気で、でも落語やらせると巧い巧い!」

 落語通の方はこの頭坊主で目つきが悪くて生意気な前座が誰か、すぐおわかりかもしれませんが(笑)、立川談春(たてかわだんしゅん)師匠でございます。

青木「その二人を見ていてあまりにもレベルが高いのでプロの落語家になろうというのは諦めましたね。相手が悪すぎました(笑)。おかげで僕たちのまわりの人間は一人もプロになりませんでしたもん」 

 そりゃ相手が悪い(笑)。今の落語界を牽引するようなお二人ですから。

今までの落語会では
見ないタイプのお客さんとかも多くて、
これは落語が暖まってきてるのかな〜って


 じゃあ落語家を諦めてから裏方になろうと思ったんですか?

青木「いやそういうのはなかったですね。その頃は落語からは遠ざかってましたし。
実家の家業を手伝ったり、ライターの仕事したり、大学入って辞めたり、イギリスに1年留学したりと色々やって、27歳の時にまた大学に入学したんですよ。
そこで知り合った若いのに古くさい感じの奴がいて、そいつが落語家になりたいって言い出したんですよ。柳家花緑(やなぎやかろく)さんに惚れて弟子入りしたいって。僕が落研だったっていうこともあって相談っていうか話しをしてきたんですね。必死になって止めましたよ。そんな甘いもんじゃないぞって。でもその甲斐もなく弟子入りして柳家初花(やなぎやしょっぱな)になっちゃいました」

 落語から離れていたのに落語家志望の人間と知り合ってしまう、何か落語から離れられない運命的なモノを背負ってしまってるようです。

青木「入門する彼に、前座のウチは友達つき合いや祝儀不祝儀のつき合いなんて言ってられる立場じゃなくなるんだから一切つき合いは絶つ。その代わり二ツ目になったら落語会を開く協力はしてやるって言って、二ツ目になるまでの4年間一切連絡しませんでしたし、してきませんでした。落語家になるってのはそのくらい厳しいもんだって僕は思ってましたから。それで何とか二ツ目になった時に彼の落語会を開く手伝いを始めたんです」

 いよいよ裏方家業に手を出してしまったんですね(笑)。その頃は落語を聞いていたんですか?

青木「それを機会にまたちょっと寄席に行き始めたんですよ。そしたら僕らが学生の時に聞いてたより遙かに若手が巧い巧い。びっくりしましたよ。
それで目を付けた二ツ目の金原亭馬吉(きんげんていうまきち )さんと初花さんとで『落語馬花』っていう落語会を始めたんです。それが落語ブームの火付け役になったって言われるテレビドラマの『タイガー&ドラゴン』が始まる3,4ヶ月前ですかね」

 『タイガー&ドラゴン』とは、2005年にTBSで放送されたテレビドマ。ヤクザが落語家に入門するという破天荒なストーリー。主演は長瀬智也・岡田准一。脚本は宮藤官九郎。平均視聴率12.8%。『第43回ギャラクシー賞』テレビ部門・ギャラクシー大賞受賞。落語ブームの火付け役と言われ、日本テレビの『笑点』の視聴率も上がったという。DVD発売&レンタル中。

青木「ドラマの影響もあったかもしれないですけど、今までの落語会では見ないタイプのお客さんとかも多くて、これは落語が暖まってきてるのかな〜って思いましたよ」

 その頃から落語入門的な本がこの頃随分出版され、雑誌の特集で取り上げられる事も多く、興味を持ちやすい環境だったことも確かです。

青木「そんな風な感じで落語会を手がけるようになったり、たまたま知り合いの知り合いが落語家になっていて、それは柳家三之助(やなぎやさんのすけ)さんなんですが、仲良くさせてもらったりするようになったんです。ライターの仕事でも落語に関するモノを手がけるようになってたりしてました。
そういう状況の中で若手の落語家さんなんかと交流が生まれてきて色々話してると、寄席より小さくて50人くらい入れる落語が出来る場所があればな〜、っていう話しをよく聞くんですよ。公共の会場使うと舞台を設えたり、受付とか裏方の手伝いも頼まなきゃならないし、そういう手間がかからないで、身一つで会場に入って落語やることだけに専念できる会場が欲しいって言うんですね」

 確かに基本的に落語家さんはフリーランスですから、事務処理も雑務も全部自分でやるなり手配しなければならない、身一つで公演が出来るのはとても助かるはず。

青木「そしてお客さんとも知り合って色々話してみると、落語の本は本屋、CDはCD屋、チラシは寄席や落語会で貰うけど、全部まとまってファン同士が集まったり出来る場が欲しいって言うんですよね。落語に興味を持った人が集まれるアンテナショップみないな」

 そういう思いは青木さんの中にもあったんですか?

青木「僕は子供の頃から落語を聞いてましたけど、高校で落研に入って初めて落語のことを話せる人に会ってすごい楽しかったですから、そういう気持ちはよくわかるんです。
そういう落語家さんやお客さん達との交流の中から『らくごカフェ』の構想が徐々に芽生えていったんです」

 いよいよ『らくごカフェ』の姿がおぼろげに見えてきました。そのオープンにあたって色んな人の縁や協力が結集します。次回もお楽しみに!

らくごカフェ
http://rakugocafe.exblog.jp/

〒101-0051
東京都千代田区
神田神保町2-3
古書センタービル5F

TEL.03-6268-9818
(平日11時〜18時)

カフェ営業月〜土
11時〜18時
(貸切の場合あり)

定休日 日・祝日 

落語会の予定があるときは会場として夜間、日・祝日も開店

撮影・スズキマサミ 「らくごカフェ」にて